2014年05月06日
究極のエコカー?
車の屋根にガジュマルという木や、草、花が咲いている僕の車。
今日5月6日、琉球朝日放送のスーパーJチャンネルで放送されました。
Facebookに「走れガジュマル兄妹」というページがあります。
車上のガジュマル兄妹が唄う木を探すという物語です。
基本的に毎週日曜日の更新で5月6日現在、103話です。
今は120センチですが5センチの頃からの写真や、コスモスが満開の写真等があります。
https://www.facebook.com/FlowerGardenCar/photos/a.134905303331414.30427.134898679998743/301816653306944/?type=1&permPage=1
Facebookに飛ばない場合は「走れ!ガジュマル兄妹」で検索して下さい。
2012年03月14日
2012 最新 車上花畑計画 報告
このブログの存在をすっかり忘れていました。
今の状況はどうなっていますか?とのコメントで久しぶりの報告です。
http://www.youtube.com/watch?v=laNUIhZCqjQ
この動画をご覧下さい。
三週間前の様子です。
*尚、ナニコレ、には出ませんのでよろしく~。
今の状況はどうなっていますか?とのコメントで久しぶりの報告です。
http://www.youtube.com/watch?v=laNUIhZCqjQ
この動画をご覧下さい。
三週間前の様子です。
*尚、ナニコレ、には出ませんのでよろしく~。
2011年02月16日
車上花畑計画報告Ⅱ
車上花畑計画報告Ⅱです。
これは昨年の8月22日にミクシーで報告したものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
根付かせるのに苦労したヒメキランソウですが、雑草というヤツはたいしたもんで植えても無いのに勝手に車上へきて勝手にすくすく元気に育っています。
これは二週間前。
こちらは今日。
15センチを越え、小さな白い花も咲き始めました。
招待状も出していないのに勝手にパーティーに参加したようなヤツですが今のところはヒメちゃんのお邪魔になっていないのでそのまま自由にさせています。
でも、近々退出願うことになるでしょう。ちと、残念だけど。
・・・・・・・・・・・・・・・
さて、このピョンと伸びた雑草はどうなりましたでしょうか?
また、明日か明後日に報告します。
* 尚「ナニコレ」にはすでに情報が入っていますので連絡無用です。
これは昨年の8月22日にミクシーで報告したものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
根付かせるのに苦労したヒメキランソウですが、雑草というヤツはたいしたもんで植えても無いのに勝手に車上へきて勝手にすくすく元気に育っています。
これは二週間前。
こちらは今日。
15センチを越え、小さな白い花も咲き始めました。
招待状も出していないのに勝手にパーティーに参加したようなヤツですが今のところはヒメちゃんのお邪魔になっていないのでそのまま自由にさせています。
でも、近々退出願うことになるでしょう。ちと、残念だけど。
・・・・・・・・・・・・・・・
さて、このピョンと伸びた雑草はどうなりましたでしょうか?
また、明日か明後日に報告します。
* 尚「ナニコレ」にはすでに情報が入っていますので連絡無用です。
Posted by 南国スピリッツ at
21:40
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2011年02月14日
車上花畑計画 報告 1
僕は三年前に車の屋根に芝生を植えて走っていました。
沖縄の夏の暑さをなんとか和らげようと思い、試行錯誤とべランでの実験の結果、土を使わずに車の屋根に根付かせることに成功しました。
でも、予想していないことが起きました。
笑われるのです。指を指されて。
暑さをなんとかしようという計画でしたので「人の目」を全く考えていなかったのです。
当然ですね。笑われて当たり前です。
わかってはいてもその恥ずかしさに耐えかねて止めていました。が、友人達や会ったこともない人々から「再開してほしい」という声が届き、昨年の1月にまた指を指されて笑われるのを覚悟して始めました。
今度は芝生ではなく、花です。
車上を花で満開にしようという計画です。
その経過を、昨年からミクシーに書いていましたので紹介していきます。
まずは去年の7月から。
笑って下さいな。
・・・・・・・・・・・・・・・
車検は通るのか!?
選挙結果も気になるところだけど、初の車上花畑計画の報告をします。
何度も失敗し半ば諦めかけていた「車上花畑計画」、なんとか実現の可能性が見えてきました。
今年の1月後半から初めて6回枯らしていましたが、7回目にしてやっと根付いてくれたのです。
今回僕がチョイスした花の名は「ヒメキランソウ」。
ほぼ二年前、ダチの空が「友達に子供が生まれたからアパートがある奥武島に連れて行け」というので渋々出発。
空がその友人の部屋で赤ちゃんと対面しているあいだ、僕はそこのアパート駐車場の片隅で自生し咲いていた、始めて見るその花の可憐さに感動し「まぁ、実行することは無いだろうけど芝生の次にやるとしたらこの花かな?」と漠然と思っていました。
それほどあちこちで見かける花ではないけど、沖縄で自生しています。
しかしこれが難しい。
種が無いので生えているこの花を抜いて車上へ移植する。
土に生えているものを抜いて、土の無い車上へ移植する。
何度も枯らして「やっぱり無理かなぁ」と思っていたのですがやっと車上に根付いてくれました。
今後はよっぽどのことが無い限り大丈夫でしょう。
ただこの植物は拡がり、増殖のスピードがとても遅いようで車上一杯に拡がるまで時間が掛かりそうです。
それに最も大事な花の開花時期が3月~5月ということで来年まで皆さんに車上一面の満開の花をお見せすることは厳しそうです。
てっきり一年中咲いている花かと思っていましたので、これはミステイク。スンマセン。
しかし、やっと根付いてくれたのに、最大の難関が明日あります。
『車検』です。
芝生の「車上緑化計画」は車検を通してから始めました。
当初は業者に車検をお願いする予定でしたが友人の比嘉君が「どんな質問されるか分かりません。法律の解釈次第になりますからきっちり答える為には自分で車検に出したほうが良いですよ。」とアドバイス。
確かに依頼する予定だった業者は「これは無理です。剥がさないと通りません」とキッパリ言いました。
でもユーザー車検の経験が無く不安なので「予備検査」の業者に相談しました。が、その業者も経験の無いことなので「車検が通るのか何とも言えません」。
あぁまだるっこしい。もう直接陸運局で聞いてしまおう、と先週の月曜日に行ってきました。
陸運局の窓口で「あのう…実はですね、以前は車の上にですね、芝生を生やしていましてですね、で、今はですね」
「えっ?何ですか?芝生?車の上に?意味が分からん。何?何が聞きたいんですか?」
いや、だからですね。車の屋根に芝生があったんですよ。で、今は花にチャレンジしているんですけど、ユーザー車検でいけるかどうかお聞きしたいんです」
「意味分からんさ。ユーザ車検のことなら担当者を呼ぶから待って下さい」と。
で、やってきた係りの方に「芝生が生えているとか意味が分からんこと言っているさ」と。しょうがないけど笑っちゃったさ。
で、一から説明しました。
ホンとに僕はバカですよ。
説明しているあいだ他の人達も耳をそばだてて聞いているんです。
大勢来ている車検の業者。
陸運局の他の窓口の人達。
「こいつは何を言っとるんだ?」と。
二年前にテレビ朝日の「やじうまワイド」という番組が東京の陸運局に問い合わせて「屋根についているキャリーと同じ扱いになるので問題は無いでしょう」と放送したことも話しました。
で、その担当者が「意味が分かりませんので車、見せてください」と。
最初の一言。
「ありゃりゃ!何これ!」「あんた何やってるの?」
いや、何と言われましても…
「面白いねぇ。凄いことやるねぇ」
えっ?
「ん~、大丈夫じゃないかなぁ。しっかり接着しているようだしね。」
明日、どうなりますでしょうか。
ちらっとだけ、車上花畑を見ます?
「ヒメキランソウ」はこういう花です。
これは三年前に沖縄南部で自生している花を撮影したものです。
* 尚「ナニコレ」にはすでに情報が入っていますので連絡無用です。
沖縄の夏の暑さをなんとか和らげようと思い、試行錯誤とべランでの実験の結果、土を使わずに車の屋根に根付かせることに成功しました。
でも、予想していないことが起きました。
笑われるのです。指を指されて。
暑さをなんとかしようという計画でしたので「人の目」を全く考えていなかったのです。
当然ですね。笑われて当たり前です。
わかってはいてもその恥ずかしさに耐えかねて止めていました。が、友人達や会ったこともない人々から「再開してほしい」という声が届き、昨年の1月にまた指を指されて笑われるのを覚悟して始めました。
今度は芝生ではなく、花です。
車上を花で満開にしようという計画です。
その経過を、昨年からミクシーに書いていましたので紹介していきます。
まずは去年の7月から。
笑って下さいな。
・・・・・・・・・・・・・・・
車検は通るのか!?
選挙結果も気になるところだけど、初の車上花畑計画の報告をします。
何度も失敗し半ば諦めかけていた「車上花畑計画」、なんとか実現の可能性が見えてきました。
今年の1月後半から初めて6回枯らしていましたが、7回目にしてやっと根付いてくれたのです。
今回僕がチョイスした花の名は「ヒメキランソウ」。
ほぼ二年前、ダチの空が「友達に子供が生まれたからアパートがある奥武島に連れて行け」というので渋々出発。
空がその友人の部屋で赤ちゃんと対面しているあいだ、僕はそこのアパート駐車場の片隅で自生し咲いていた、始めて見るその花の可憐さに感動し「まぁ、実行することは無いだろうけど芝生の次にやるとしたらこの花かな?」と漠然と思っていました。
それほどあちこちで見かける花ではないけど、沖縄で自生しています。
しかしこれが難しい。
種が無いので生えているこの花を抜いて車上へ移植する。
土に生えているものを抜いて、土の無い車上へ移植する。
何度も枯らして「やっぱり無理かなぁ」と思っていたのですがやっと車上に根付いてくれました。
今後はよっぽどのことが無い限り大丈夫でしょう。
ただこの植物は拡がり、増殖のスピードがとても遅いようで車上一杯に拡がるまで時間が掛かりそうです。
それに最も大事な花の開花時期が3月~5月ということで来年まで皆さんに車上一面の満開の花をお見せすることは厳しそうです。
てっきり一年中咲いている花かと思っていましたので、これはミステイク。スンマセン。
しかし、やっと根付いてくれたのに、最大の難関が明日あります。
『車検』です。
芝生の「車上緑化計画」は車検を通してから始めました。
当初は業者に車検をお願いする予定でしたが友人の比嘉君が「どんな質問されるか分かりません。法律の解釈次第になりますからきっちり答える為には自分で車検に出したほうが良いですよ。」とアドバイス。
確かに依頼する予定だった業者は「これは無理です。剥がさないと通りません」とキッパリ言いました。
でもユーザー車検の経験が無く不安なので「予備検査」の業者に相談しました。が、その業者も経験の無いことなので「車検が通るのか何とも言えません」。
あぁまだるっこしい。もう直接陸運局で聞いてしまおう、と先週の月曜日に行ってきました。
陸運局の窓口で「あのう…実はですね、以前は車の上にですね、芝生を生やしていましてですね、で、今はですね」
「えっ?何ですか?芝生?車の上に?意味が分からん。何?何が聞きたいんですか?」
いや、だからですね。車の屋根に芝生があったんですよ。で、今は花にチャレンジしているんですけど、ユーザー車検でいけるかどうかお聞きしたいんです」
「意味分からんさ。ユーザ車検のことなら担当者を呼ぶから待って下さい」と。
で、やってきた係りの方に「芝生が生えているとか意味が分からんこと言っているさ」と。しょうがないけど笑っちゃったさ。
で、一から説明しました。
ホンとに僕はバカですよ。
説明しているあいだ他の人達も耳をそばだてて聞いているんです。
大勢来ている車検の業者。
陸運局の他の窓口の人達。
「こいつは何を言っとるんだ?」と。
二年前にテレビ朝日の「やじうまワイド」という番組が東京の陸運局に問い合わせて「屋根についているキャリーと同じ扱いになるので問題は無いでしょう」と放送したことも話しました。
で、その担当者が「意味が分かりませんので車、見せてください」と。
最初の一言。
「ありゃりゃ!何これ!」「あんた何やってるの?」
いや、何と言われましても…
「面白いねぇ。凄いことやるねぇ」
えっ?
「ん~、大丈夫じゃないかなぁ。しっかり接着しているようだしね。」
明日、どうなりますでしょうか。
ちらっとだけ、車上花畑を見ます?
「ヒメキランソウ」はこういう花です。
これは三年前に沖縄南部で自生している花を撮影したものです。
* 尚「ナニコレ」にはすでに情報が入っていますので連絡無用です。
Posted by 南国スピリッツ at
22:15
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2010年10月13日
禁煙クルクルパー症状
僕は20数年吸っていたタバコを去年の9月に止めました。
きっかけは「ノリピー」ちゃん。酒井法子ちゃんでした。
別に彼女のファンでもなんでもありません。
記者会見で発言した彼女の言葉が非常にショックだったからです。
「覚せい剤をどれ位の頻度で使用していたか」と言う質問にノリピーは「月に一度は」と答えました。
驚いたなあ。
タバコは月に一度なんて無理!
たとえ彼女の言葉が話半分の嘘だとしても、2週間に一度?
1週間に一度、だとしてもタバコは無理!
タバコは一週間どころか一日さえ無理。三時間が限界。
そう考えると覚せい剤よりも遥かにタバコがヤバイじゃない!
それで止めようと思いました。
三度、途中で諦めましたが4度目でついに禁煙に成功しました。
ただ夢を見るんですね。
これが情けなくもクルクルパーな夢でした。
もちろん、タバコを吸っているんです。夢で。
夢なんだから堂々と思いっきり吸ってくれたらいいのに、僕の夢は情けない。
おどおどして隠れて吸っていました。
そして吸っている自分に驚いて、廻りをキョロキョロして慌ててもみ消すんです。
「あれっ?オレなんで吸っているんだ。いやいやあのぉー皆さ~ん。僕、吸ってたわけではありませんよー。たまたまタバコが手元にあっただけなんですよー」
「ホントです。ホントに吸ってないんです。信じてくださーい」
腹立ちましたね。夢から覚めて。
せっかくなんだからもっとたっぷりゆっくり吸えやーーーー。オレ。って。
きっかけは「ノリピー」ちゃん。酒井法子ちゃんでした。
別に彼女のファンでもなんでもありません。
記者会見で発言した彼女の言葉が非常にショックだったからです。
「覚せい剤をどれ位の頻度で使用していたか」と言う質問にノリピーは「月に一度は」と答えました。
驚いたなあ。
タバコは月に一度なんて無理!
たとえ彼女の言葉が話半分の嘘だとしても、2週間に一度?
1週間に一度、だとしてもタバコは無理!
タバコは一週間どころか一日さえ無理。三時間が限界。
そう考えると覚せい剤よりも遥かにタバコがヤバイじゃない!
それで止めようと思いました。
三度、途中で諦めましたが4度目でついに禁煙に成功しました。
ただ夢を見るんですね。
これが情けなくもクルクルパーな夢でした。
もちろん、タバコを吸っているんです。夢で。
夢なんだから堂々と思いっきり吸ってくれたらいいのに、僕の夢は情けない。
おどおどして隠れて吸っていました。
そして吸っている自分に驚いて、廻りをキョロキョロして慌ててもみ消すんです。
「あれっ?オレなんで吸っているんだ。いやいやあのぉー皆さ~ん。僕、吸ってたわけではありませんよー。たまたまタバコが手元にあっただけなんですよー」
「ホントです。ホントに吸ってないんです。信じてくださーい」
腹立ちましたね。夢から覚めて。
せっかくなんだからもっとたっぷりゆっくり吸えやーーーー。オレ。って。
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21:47
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2010年10月10日
私に寄こしなさいよ!
『これは私のものよ!私に寄こしなさいよ!』
『なに言ってるんだおめぇよお-。オレが最初に見つけたんだぁ~これは。
年寄りだからってバカにすんじゃねーど。』
『バカ言ってんじゃないわよ。私のものよこれは!』
『だぁぁぁーーー俺も欲しいーーー。』(真ん中、顔半分の男)
『だから私に寄こしなさいって言ってるでしょ!私にはアメリカにお腹をすかせてこれを待っている子供達がいるのよ!世界で沖縄にしかないからってアメリカからわざわざ来たのよ!寄こしなさいってば!』
『オラだってこれ持ってかえらねーと女房にぶん殴られるっつーの』
『だぁぁぁーーー俺も欲しいーーー。』(真ん中、顔やっと全部写った男)
『ユミちゃんも欲しいの~』
『僕だって欲しいんだよぉ~』
『おばちゃんだってこれを採るために岩手県からきたのよ~』
出演者の皆様、勝手なことを書いてしまってゴメンナサイ。
誰一人、知らない方々でした。
Posted by 南国スピリッツ at
23:02
│Comments(0)
2010年10月08日
あなたを理想のスタイルに!
二年前、山原(ヤンバル)の奥にある、さびれた何でも屋さんで見つけたものです。
なぜ、このデザインが選ばれたのか、不思議。
これをデザインしたデザイナーもデザイナーですが、これでOKとした上司も上司。
そして「よし!これで売ろう!」と決めたメーカーもメーカーですよねぇ
何年も売れていないのを物語るように、全体にすごいほこりが被っていた。
900円。
当時、あと、3個ありました。
でも、今もありそうな気がしますよ。
Posted by 南国スピリッツ at
22:31
│Comments(0)
2010年10月07日
高級時計師の店
何か貼ってあるので近づいてみると。
人は見かけによらぬものですが、建物も見かけで判断しないようにしよっと。
この張り紙の傾き具合が微妙に好き、です。
Posted by 南国スピリッツ at
19:38
│Comments(0)
2010年10月06日
世にも恐ろしい床屋 2
新聞紙を頭からかぶせる恐ろしい床屋の話を昨日書きました。
今日は、輪をかけた恐ろしい床屋、京都編です。
およそ、20年前。
僕は二ヶ月だけ、京都に住んでいたことがありました。
ある日、とある商店街を歩いていました。
記憶が定かではありませんが「新京極」だったような気がします。
なんとなくふらっとメインの通りから路地へ曲がりました。
僕の変な癖。
外国へいっても、いつのまにか路地へ入ってしまいます。
危ないと言われても裏道や路地につい足が向くのです。
京都。
何気に昨日の写真のような床屋が目に入りました。
「ああ、そういえば髪、伸びたなぁ。切るか。」
入りました。
もう少し賢い僕ならば、その時に中学のあの恐ろしい床屋と「風情が」瓜二つである」ということを思い出して入らなかったはずですが、残念ながら新聞紙を頭からかぶせられたバカは、大人になって、磨きのかかったクルクルパーになっていました。
中に入るとこれからのことを暗示するように、客が一人もいません。
爺さんが新聞を読んでいました。
ここまでは、あの沖縄の床屋と一緒です。
違うのは爺さんは椅子、ではなく、長いすに仰向けになって新聞を読んでいました。
客が混んでいるときに待っている間、座る長椅子です。
「はい、いらっしゃい」。
日本語です。
『ぬぅ」と語尾は上がりません。
わりとにこやかに鏡の前の椅子に座るように僕を促しました。
新聞紙ではなく、ポリエステルのカバーをきちんと首からかけてくれました。
さっぱりしたいので少しカットして欲しいと伝え、順調にことが進んで行きます。
カットが終わり、カバーに付いた髪の毛をブラシで払いながら、爺さんは不思議なことを言いました。
「じゃあ、悪いけどちょっと外に出てくれる?」
『へ??? 外?? 外って?? なんで????』
一気に不安でなにやら怪しい雰囲気を感じ、ザワザワと胸騒ぎを覚える僕の手を爺さんは掴み、引っ張りました。
そして先ほど入ってきたドアを開け、僕の手を掴みながら商店街のメイン通りへ誘います。
『えっ、えっ、なに?なに?ウッソォ~』
首から白いカバーをかけられた僕は歩く「てるてるボーズ」そのままです。
すれ違う人々がクスクス笑います。
そりゃ、そうだ。
僕だって、こんなヤツが商店街を爺さんに手を掴まれながら歩いていたら、笑うに決まってます。
一つ目の路地を曲がり奥に進むと民家の木戸があり、中に爺さんは入ります。
「勝手口はこっちだから」と、そっちに進みます。
「ギギギィィィーーーー」と不快な音を出すおんぼろ扉の中に入ると、台所でした。
台所?? なんで??? オレ、食堂じゃなくて、床屋に来たはずだよな????
またしても僕の頭の上には????マークで一杯になりました。
それに、ここはどこの家???
「いやーー、悪いね。お店から家に入る扉の立て付けが悪くて、開かなくなってるんだ。扉一枚なのに、こんなに歩かせちゃったな。」
そんな爺さんの説明よりも、僕は奇妙な光景に目を奪われていました。
僕が入ってきたのに、一度もこちらを振り返らない太った婆さんが、まな板の前で何かを切っているのです。
『人肉床屋??』
何も知らずに入ってきた客を、さばいてオカズにして食べる『人肉床屋?なわけないけど』
ボーゼンとしている僕を爺さんは流し台の前に立たせました。
「店の水道管がおかしくなってな、水、出ないんだよ。すまんな。ここで、頭洗う」
僕は、京都の、見知らぬ家の、台所の流しで、頭を洗われるために生まれてきた男でした。
椅子も無く、中腰で、流しの前で腰をかがめさせられました。
頭に何かをかけられました。
とっさに『それっ、シャンプーですよね??ママレモンじゃないですよねぇっ???』
爺さんは笑って「ママレモンで頭洗うかいな。おかしなこと言わはるなぁ」
流しの生臭い匂いに目をしかめて右に向けると僕のすぐ横。10センチか20センチかの横で、婆さんが大根を切っていました。出刃包丁で。
『うわぁ~~。。。。。頭洗っているときくらい、やめろぉ~。。。。」
声に出していません。こころの叫びです。
これがまた切れない包丁のようで大根に当てた包丁を上から押さえつけているのか「ガッコン、ガッコン」と音がしていました。
動揺して頭を振るわせる僕の首をギュッと掴んで爺さんは、流しのステンレスにこすり付けんとばかりにグッと押さえ込みました。
京都の、見知らぬ家の、流しの穴に落ちている、生ごみを、僕は、超至近距離から見つめていました。
残念ながら僕の記憶はここまでです。
なぜか、この後の記憶がさっぱりと抜けているのです。
あまりの恐怖で、脳が記憶することを拒否したのかも知れません。
京都。
恐ろしい町です。
京都。
皆さんに忠告します。
京都へ行ったら、例えいかなる理由があっても、見知らぬ家のステンレスの流しに、頭を、突っ込んではいけません。
それさえ守っておけば、京都は、あなたにとって、良い思い出の場所となることでしょう。
今日は、輪をかけた恐ろしい床屋、京都編です。
およそ、20年前。
僕は二ヶ月だけ、京都に住んでいたことがありました。
ある日、とある商店街を歩いていました。
記憶が定かではありませんが「新京極」だったような気がします。
なんとなくふらっとメインの通りから路地へ曲がりました。
僕の変な癖。
外国へいっても、いつのまにか路地へ入ってしまいます。
危ないと言われても裏道や路地につい足が向くのです。
京都。
何気に昨日の写真のような床屋が目に入りました。
「ああ、そういえば髪、伸びたなぁ。切るか。」
入りました。
もう少し賢い僕ならば、その時に中学のあの恐ろしい床屋と「風情が」瓜二つである」ということを思い出して入らなかったはずですが、残念ながら新聞紙を頭からかぶせられたバカは、大人になって、磨きのかかったクルクルパーになっていました。
中に入るとこれからのことを暗示するように、客が一人もいません。
爺さんが新聞を読んでいました。
ここまでは、あの沖縄の床屋と一緒です。
違うのは爺さんは椅子、ではなく、長いすに仰向けになって新聞を読んでいました。
客が混んでいるときに待っている間、座る長椅子です。
「はい、いらっしゃい」。
日本語です。
『ぬぅ」と語尾は上がりません。
わりとにこやかに鏡の前の椅子に座るように僕を促しました。
新聞紙ではなく、ポリエステルのカバーをきちんと首からかけてくれました。
さっぱりしたいので少しカットして欲しいと伝え、順調にことが進んで行きます。
カットが終わり、カバーに付いた髪の毛をブラシで払いながら、爺さんは不思議なことを言いました。
「じゃあ、悪いけどちょっと外に出てくれる?」
『へ??? 外?? 外って?? なんで????』
一気に不安でなにやら怪しい雰囲気を感じ、ザワザワと胸騒ぎを覚える僕の手を爺さんは掴み、引っ張りました。
そして先ほど入ってきたドアを開け、僕の手を掴みながら商店街のメイン通りへ誘います。
『えっ、えっ、なに?なに?ウッソォ~』
首から白いカバーをかけられた僕は歩く「てるてるボーズ」そのままです。
すれ違う人々がクスクス笑います。
そりゃ、そうだ。
僕だって、こんなヤツが商店街を爺さんに手を掴まれながら歩いていたら、笑うに決まってます。
一つ目の路地を曲がり奥に進むと民家の木戸があり、中に爺さんは入ります。
「勝手口はこっちだから」と、そっちに進みます。
「ギギギィィィーーーー」と不快な音を出すおんぼろ扉の中に入ると、台所でした。
台所?? なんで??? オレ、食堂じゃなくて、床屋に来たはずだよな????
またしても僕の頭の上には????マークで一杯になりました。
それに、ここはどこの家???
「いやーー、悪いね。お店から家に入る扉の立て付けが悪くて、開かなくなってるんだ。扉一枚なのに、こんなに歩かせちゃったな。」
そんな爺さんの説明よりも、僕は奇妙な光景に目を奪われていました。
僕が入ってきたのに、一度もこちらを振り返らない太った婆さんが、まな板の前で何かを切っているのです。
『人肉床屋??』
何も知らずに入ってきた客を、さばいてオカズにして食べる『人肉床屋?なわけないけど』
ボーゼンとしている僕を爺さんは流し台の前に立たせました。
「店の水道管がおかしくなってな、水、出ないんだよ。すまんな。ここで、頭洗う」
僕は、京都の、見知らぬ家の、台所の流しで、頭を洗われるために生まれてきた男でした。
椅子も無く、中腰で、流しの前で腰をかがめさせられました。
頭に何かをかけられました。
とっさに『それっ、シャンプーですよね??ママレモンじゃないですよねぇっ???』
爺さんは笑って「ママレモンで頭洗うかいな。おかしなこと言わはるなぁ」
流しの生臭い匂いに目をしかめて右に向けると僕のすぐ横。10センチか20センチかの横で、婆さんが大根を切っていました。出刃包丁で。
『うわぁ~~。。。。。頭洗っているときくらい、やめろぉ~。。。。」
声に出していません。こころの叫びです。
これがまた切れない包丁のようで大根に当てた包丁を上から押さえつけているのか「ガッコン、ガッコン」と音がしていました。
動揺して頭を振るわせる僕の首をギュッと掴んで爺さんは、流しのステンレスにこすり付けんとばかりにグッと押さえ込みました。
京都の、見知らぬ家の、流しの穴に落ちている、生ごみを、僕は、超至近距離から見つめていました。
残念ながら僕の記憶はここまでです。
なぜか、この後の記憶がさっぱりと抜けているのです。
あまりの恐怖で、脳が記憶することを拒否したのかも知れません。
京都。
恐ろしい町です。
京都。
皆さんに忠告します。
京都へ行ったら、例えいかなる理由があっても、見知らぬ家のステンレスの流しに、頭を、突っ込んではいけません。
それさえ守っておけば、京都は、あなたにとって、良い思い出の場所となることでしょう。
Posted by 南国スピリッツ at
19:47
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2010年10月05日
世にも恐ろしい床屋
恐ろしい床屋の体験が僕には二度あります。
たぶんあなたの想像を超えていると思います。
「それって! 日本?」
と思われるでしょう。
でも、この体験は日本、JAPANでのことです。
そして真実の話しです。
一度目は沖縄。
もう一度は京都での事です。
この写真 ↓ は、この二題とは関係ありませんが、あまりにも僕が体験した床屋と様子が似ているので去年、思わず撮影したのです。
まさしく、こんな感じの床屋でした。
去年このお店の前を通って驚きました。
入ってみようかと思いましたが、あの恐怖の体験を思い出し足がすくみました。
一話。
沖縄です。
中学二年の頃ですから、もう随分前のこと。
国際通りの突き当たり安里、今はスーパーサンエーがある所にかつてその異次元の床屋はありました。
僕は幼稚園までは髪の毛は黒々としていたのに、小学校にあがると半分以上真っ白になってしまいました。
理由は分かりません。
さんざんからかわれていましたが色気づいた中二の頃、国際通りを歩いていて急に「そうだ!髪を染めればいいじゃん!!」と思ったのです。
でも、やったことが無い。
どうしよう?と、思った視線の前に上の写真のような床屋が見えました。
そこの扉を開けると異次元の、悪魔の世界へ入ることも知らず僕は扉を開けてしまいました。
店内へ入ると、客は誰もいません。
あれっ?
すると鏡の前の椅子がゆっくりと廻り、新聞を読んでいる店の爺さんが僕をにらみました。
「ぬぅー??」
方言です。
もう一度言います。「ぬぅー??」
『いえ、あの、その、あのぉ・・・・」
「ぬぅー????」 語尾が上がっていました。
『いえ、あの、その、髪を・・・・』
「髪が、ぬぅー???
『はい、か、髪を、染め、染めて欲しいんです』
新聞を拡げたままの爺さんは僕の頭を見て、理解したようです。
そして顎で、隣りの空いている椅子に座れと命令しました。
客の僕に。顎で。命令をしたのです。
座りました。
5分。
何も言いません。
10分。
何も起こりません。
新聞を読んでいます。
さすがに頭にきて帰ろうとしたその時、爺さんが拡げていた新聞を二つに折りました。
そして、その新聞の二つ折りに折った折り目の中心を指で、半円形に破り始めたのです。
『な、何をしているんだ?』 心の中でつぶやきました。
破り終えると爺さんは新聞をまた拡げました。
そして、なんと、拡げて円になった穴に僕の頭を通したのです。
『えっ? えっ??えええーーー』
鏡に映った僕は新聞をかぶったバカ、でした。
そして爺さんは白髪染の液体を用意して、陶器の器でコネコネしはじめました。
『えっ? まさか、このまま??』
と、不安に陥る僕の頭にペンキを塗るハケのようなもので塗ろうとしたその瞬間、
「あいっ! わしとーたん」(あっ、忘れてた。) 同時中継でお送りしています。
ほっとしました。
そうだろう。そりゃ、そうだろう。
いくらなんでも、そりゃそうだろう。
こんな格好のまま、ってことはないだろう。忘れるなよな。爺さんよぉ。
髪染液を置いた爺さんは、床に捨てたさっきの半円に破った新聞を拾いました。
『何?何?何すんの?』
拾った新聞を今度は5~6センチにまた破り始めました。
しかも、またもや半円です。
餃子、くらいの大きさでしょうか。形も餃子に似ていました。
それも、またしても、折り目のところを中心に破いていました。
餃子を持った爺さんは、店の奥に消えました。
これから何が起こるのか?中学二年の純情な僕はおびえていました。
奥でなにやら婆さんに「○○持ってこい」と言う声が聞こえます。
戻ってきた爺さんの手には右手に餃子、左手には昔のブリキ製の、洗濯バサミが二個ありました。
僕の頭の上には「???」マークが何個も付いています。
そして爺さんは餃子を、いえ、半円状態に破った新聞紙を拡げて、僕の耳にかぶせました。
そして、恐ろしい事にその耳にかぶせた新聞紙を固定するために、洗濯バサミで僕の耳を挟んだのです。
痛かった。もの凄く痛かった。
昔のブリキの洗濯バサミの強さったら、そりゃぁもう、大変です。
『痛~い!!なにするのぉ~。』 絶叫する僕に
「やがまさん。耳ぬくるーなてぃん、しむんなぁ?」
(うるさい。耳が黒くなっても良いのか?) 同時中継でお送りしています。
その後のことは記憶にありません。
バタバタしながらも最後まで染めて帰ったのでしょう。おそらく。
そのお店も今はありません。
スーパーサンエーになっています。
そのサンエーに恨みはありませんが、僕はそこで買い物することは無いでしょう。
耳が許さないのです。
長くなりましたので、京都での出来事は明日書きます。
京都の出来事はもっと恐ろしい話しです。
何しろ、出刃包丁が登場してきますから。
「出刃包丁で髪の毛を切るんだろう?」と思われたあなた、とんでもありません。
そんなお洒落なお店ではありませんよ。
それなのに「出刃包丁」がゲスト出演します。
生ごみも登場してしまうんです。
今、思い出してもあまりの理不尽さに涙が出てきます。
では、明日。
たぶんあなたの想像を超えていると思います。
「それって! 日本?」
と思われるでしょう。
でも、この体験は日本、JAPANでのことです。
そして真実の話しです。
一度目は沖縄。
もう一度は京都での事です。
この写真 ↓ は、この二題とは関係ありませんが、あまりにも僕が体験した床屋と様子が似ているので去年、思わず撮影したのです。
まさしく、こんな感じの床屋でした。
去年このお店の前を通って驚きました。
入ってみようかと思いましたが、あの恐怖の体験を思い出し足がすくみました。
一話。
沖縄です。
中学二年の頃ですから、もう随分前のこと。
国際通りの突き当たり安里、今はスーパーサンエーがある所にかつてその異次元の床屋はありました。
僕は幼稚園までは髪の毛は黒々としていたのに、小学校にあがると半分以上真っ白になってしまいました。
理由は分かりません。
さんざんからかわれていましたが色気づいた中二の頃、国際通りを歩いていて急に「そうだ!髪を染めればいいじゃん!!」と思ったのです。
でも、やったことが無い。
どうしよう?と、思った視線の前に上の写真のような床屋が見えました。
そこの扉を開けると異次元の、悪魔の世界へ入ることも知らず僕は扉を開けてしまいました。
店内へ入ると、客は誰もいません。
あれっ?
すると鏡の前の椅子がゆっくりと廻り、新聞を読んでいる店の爺さんが僕をにらみました。
「ぬぅー??」
方言です。
もう一度言います。「ぬぅー??」
『いえ、あの、その、あのぉ・・・・」
「ぬぅー????」 語尾が上がっていました。
『いえ、あの、その、髪を・・・・』
「髪が、ぬぅー???
『はい、か、髪を、染め、染めて欲しいんです』
新聞を拡げたままの爺さんは僕の頭を見て、理解したようです。
そして顎で、隣りの空いている椅子に座れと命令しました。
客の僕に。顎で。命令をしたのです。
座りました。
5分。
何も言いません。
10分。
何も起こりません。
新聞を読んでいます。
さすがに頭にきて帰ろうとしたその時、爺さんが拡げていた新聞を二つに折りました。
そして、その新聞の二つ折りに折った折り目の中心を指で、半円形に破り始めたのです。
『な、何をしているんだ?』 心の中でつぶやきました。
破り終えると爺さんは新聞をまた拡げました。
そして、なんと、拡げて円になった穴に僕の頭を通したのです。
『えっ? えっ??えええーーー』
鏡に映った僕は新聞をかぶったバカ、でした。
そして爺さんは白髪染の液体を用意して、陶器の器でコネコネしはじめました。
『えっ? まさか、このまま??』
と、不安に陥る僕の頭にペンキを塗るハケのようなもので塗ろうとしたその瞬間、
「あいっ! わしとーたん」(あっ、忘れてた。) 同時中継でお送りしています。
ほっとしました。
そうだろう。そりゃ、そうだろう。
いくらなんでも、そりゃそうだろう。
こんな格好のまま、ってことはないだろう。忘れるなよな。爺さんよぉ。
髪染液を置いた爺さんは、床に捨てたさっきの半円に破った新聞を拾いました。
『何?何?何すんの?』
拾った新聞を今度は5~6センチにまた破り始めました。
しかも、またもや半円です。
餃子、くらいの大きさでしょうか。形も餃子に似ていました。
それも、またしても、折り目のところを中心に破いていました。
餃子を持った爺さんは、店の奥に消えました。
これから何が起こるのか?中学二年の純情な僕はおびえていました。
奥でなにやら婆さんに「○○持ってこい」と言う声が聞こえます。
戻ってきた爺さんの手には右手に餃子、左手には昔のブリキ製の、洗濯バサミが二個ありました。
僕の頭の上には「???」マークが何個も付いています。
そして爺さんは餃子を、いえ、半円状態に破った新聞紙を拡げて、僕の耳にかぶせました。
そして、恐ろしい事にその耳にかぶせた新聞紙を固定するために、洗濯バサミで僕の耳を挟んだのです。
痛かった。もの凄く痛かった。
昔のブリキの洗濯バサミの強さったら、そりゃぁもう、大変です。
『痛~い!!なにするのぉ~。』 絶叫する僕に
「やがまさん。耳ぬくるーなてぃん、しむんなぁ?」
(うるさい。耳が黒くなっても良いのか?) 同時中継でお送りしています。
その後のことは記憶にありません。
バタバタしながらも最後まで染めて帰ったのでしょう。おそらく。
そのお店も今はありません。
スーパーサンエーになっています。
そのサンエーに恨みはありませんが、僕はそこで買い物することは無いでしょう。
耳が許さないのです。
長くなりましたので、京都での出来事は明日書きます。
京都の出来事はもっと恐ろしい話しです。
何しろ、出刃包丁が登場してきますから。
「出刃包丁で髪の毛を切るんだろう?」と思われたあなた、とんでもありません。
そんなお洒落なお店ではありませんよ。
それなのに「出刃包丁」がゲスト出演します。
生ごみも登場してしまうんです。
今、思い出してもあまりの理不尽さに涙が出てきます。
では、明日。
Posted by 南国スピリッツ at
20:53
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2010年10月04日
『 馬で走る車 』
昨日、ここで紹介しました「馬で走る車・Naturmobil」ですが、その設計図があります。
笑うのはしょうがないけど、バカにしないで見てくださいね。
本人達はいたって真剣だと思いますので。
どうですか?
どなたか、作って見ませんか?
国際道りで走っているベロタクシーと並行して走っている姿を想像すると笑ってしまいますよね。
観光客の方々は喜びますよ。
ヤンバルや離島でも観光名物になるかも知れませんね。
水牛が引く牛車もありますもんね。
ま、そのまま同じものを作ったんじゃアイディアのパクリでヤバイかもしれませんけど。
それにしてもこの両枠の
← 赤枠 →
消えないものでしょうか?
何度やっても消えてくれないのです。
もっとこのスペースを広く使って写真を大きく紹介したいのに。。。
トップ写真にオリジナルを使うとどうしても枠が出来ちゃうんですかね?
おいおい、一昨年の「車上緑化計画」の時の芝生カーの写真も紹介していきま~す。
お楽しみに~。
笑うのはしょうがないけど、バカにしないで見てくださいね。
本人達はいたって真剣だと思いますので。
どうですか?
どなたか、作って見ませんか?
国際道りで走っているベロタクシーと並行して走っている姿を想像すると笑ってしまいますよね。
観光客の方々は喜びますよ。
ヤンバルや離島でも観光名物になるかも知れませんね。
水牛が引く牛車もありますもんね。
ま、そのまま同じものを作ったんじゃアイディアのパクリでヤバイかもしれませんけど。
それにしてもこの両枠の
← 赤枠 →
消えないものでしょうか?
何度やっても消えてくれないのです。
もっとこのスペースを広く使って写真を大きく紹介したいのに。。。
トップ写真にオリジナルを使うとどうしても枠が出来ちゃうんですかね?
おいおい、一昨年の「車上緑化計画」の時の芝生カーの写真も紹介していきま~す。
お楽しみに~。
Posted by 南国スピリッツ at
19:52
│Comments(0)
2010年10月03日
「車上緑化計画」と「馬」
「team南国スピリッツ」はそれぞれが職業を持ちながら面白そうなことには全員でその実現のために行動するクルクルパーチームです。
で、メンバーであり自称リーダーである僕の、昨日も今日も二年前も三年前もクルクルパーな毎日を今日からティーダブログで書いていきます。よろしくでございます。
二年前「車上緑化計画」と称して自分の車の屋根に芝生を植えて世界の笑いものになった僕ですが世界にはもっと面白い奴らがいます。
去年の10月に、ジャパン・フォー・サステナビリティ(JFS)というところで『日本で行なわれている環境保護に関わる活動・情報を世界に発信していく非営利組織』のアメリカにいる担当者からメールがきて、メールインタビューという形でやり取りしていました。
その頃は街を走るたび笑われ、指をさされる日々が苦しくなりすっかり車上緑化計画をやめていたのですが、その担当者は僕の車のニュースを見たときに、とある車を思い出したというのです。
その車の名前は Naturmobil
馬で走る車です(車の必要があるのか?という疑問はさておいて)と。
あえて中が見えるように作っているようです。
二頭立てのバスもあるんだよ~ん。
馬が前で引いてたら馬車になるけど、中に入ったら「車?」??
馬の吐く息が臭い、とかは言いっこなし、ということでしょうね。
『面白い!!』で、良いのだ。
作った人がいるんですよね。
『面白い!!』それで、良いのでしょうね。
でも、JFSの方が「知念さんの車を見てすぐにこの馬で走る車を思い出した」と言うように、僕の車上緑化もこんな感じのおバカに見えていたんでしょうね。
クルクルパーなんだからしょうがないけどさ・・・